主日説教
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 聖霊降臨後第十六主日 2008年8月31日 マタイ福音書16章13節~20節
朝が来て、また夕が来る。それだけが、残された確かなものではないのかと思えることがあります。そして、教会の中でさえ、主イエス・キリストの出来事が見失われてしまうことがあります。「福音」という言葉によって、他の人々を裁き、しかし人間の悲惨な現実から眼を背けてしまおうとします。目の前で、あるいは世界中で起こっている悲惨な現実を、「そんなことがあってはなりません。」という言葉で、まるでベールを被せるように見えにくくしてしまいます。いや、見たくないから、目を背けてしまうのかもしれません。「平和」という言葉が、自分の身の回りが安穏であることであるかのように誤解してしまいます。 「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。」 「あなたはわたしの邪魔をする者。神のことを思わず、人間のことを思っている。」 「わたしのために命を失う者は、それを得る。」 【 祈 り 】
PR 聖霊降臨後第十五主日 2008年8月24日 マタイ福音書16章13節~20節
「わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。」 しかし、現代社会にあって、様々な教会・教派がこうした呪術的な力を聖職者に見いだし、時として実に悲惨な情況を生みだしてきました。南アメリカで集団自殺した教会がありました。教会という名前を使いながら、実は経済的営利を求めている集団もあります。こうした教会に共通した特徴的なことがあります。それは、聖書を教会の教理の中心に置いておきながら、しかし、聖書の御言葉を厳密に捕らえようとする努力に欠けていることです。あるいは、時として、「聖霊の導きによって」という言葉が呪術的なものとすり替えられてしまっています。 ローマ・カトリック教会などでは、教会法が実に厳密に整備されると同時に、過去における教理聖省や法王の判断の中で重要だと思われることを一冊の書物にまとめ上げています。そして、その結果として、教会の秩序が守られています。ところが、日本の教会の中では、「信仰」とか「愛」とか「赦し」という言葉が先行し、しかもその意味が厳密に考えられていないことによって、蔭で多くの人々が傷ついてきたことも事実です。そして、時として日本の教会は、それを「福音」とか「伝統」という言葉で正当化してきてしまいました。 教会は言葉を大切にしてきた宗教集団です。特に、聖書の御言葉に関しては極めて厳密に理解されるために、2000年近くに渡って聖書神学が営まれてきています。そこでの議論は、聖職者であるかないかということを超えて、様々な人々がそれに携わってきました。先日、ある方からお話をお伺いしました。キリスト教書店が倒産するケースが増えているそうです。理由は、神学書が売れないということにあるとおっしゃっていました。しかし、「ペトロス」「岩」が何を意味していようと、聖書の御言葉に対する厳密な探求が失われたら、ニケア・コンスタンチノポリス信条をはじめとした「信仰告白」が危機に瀕します。そして、教会の十字架が、主イエス・キリストの贖罪の意味を表すものではなくなってしまうように思えて仕方がありません。 【 祈 り 】 聖霊降臨後第十四主日 2008年8月17日 マタイ福音書15章21節~28節 † † † † † † † † † † † † 日本語には敬語があります。皆さんの中にも小学校の時に、「次の文を敬語になおしなさい」という問題を国語の時間に出題されたことがある方々がいらっしゃると思います。そして、普段でも敬語をお使いになっていらっしゃるだろうと思います。あるいは「拝見する」「参ります」「申し上げる」といった謙譲語もお使いになっていらっしゃるのではないでしょうか。そして、その敬語と謙譲語の区別をする基準は、多くの場合、年齢であったり、社会的地位の差によるものだと思います。 「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」カナンの一人の婦人は主イエスにそう申し上げました。ここで言われている「小犬」は、この婦人が自分自身のことを言っているのだろうと考えられます。食卓から落ちるパン屑でもいいから受けたいという想いが、この婦人の心の中に見えています。そしてカナンの婦人とは、この女性がユダヤ人ではないということを意味しています。 「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」 教会はいつも、神の前にこの謙遜さを持ち続けなければなりません。教会の判断が、まして聖職者の判断が正しいのではありません。正しいお方はただ一人、あの十字架に死に、しかし三日目に甦られた主イエス・キリストお一人だけです。私共が教会に関して考えるときに最も必要なことは、この「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」という謙遜さに満ちた信仰を、聖職者も信徒も同じように持ち続けることでございます。ひとは、その想いや行いにおいて、神のようになることも、神に近くなることも、決して出来ません。 【 祈 り 】 聖霊降臨後第十三主日 2008年8月10日 マタイ福音書14章22節~33節 † † † † † † † † † † † † ペトロは、主イエスと出会ってから、この後も大きな失敗をしています。その典型は、最後の晩餐の後、ペトロは、自分は主イエスを知らないを三回も口にしてしまいました。その個所を今日はご一緒に読んでみたいと思います。 ひとは時として大きな過ちを犯してしまうことがあります。いえ、人間とはそうしたものなのだと聖書は語っています。目の前で主イエスが水の上に立っていらっしゃるのを見ていながら、ふと周囲の気配を見て、ペトロは恐ろしくなってしまいました。「幽霊だ」と叫んだ弟子たちに、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と語りかけて下さった主イエスの、「来なさい」という言葉に従って水の上を歩き始めたペトロ‥‥‥しかし、ペトロはふと主イエスから目を逸らしてしまいました。そして水に沈みかけ、主イエスに助けていただきながら、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と語りかけられてしまいました。そして、舟に上がることが出来て初めて、「本当に、あなたは神の子です」と告白することが出来たのです。 そのペトロが、最高法院に連れて行かれた主イエスの後を追って中庭に入り、主イエスがどうなるのかを知ろうとしていたのですが、その時、大祭司の女中の一人に見つかってしまいました。彼女は、どこかで主イエスと弟子たちを目撃していたのかもしれません。ペトロは咄嗟に答えてしまいます。「そんな人は知らない‥‥‥」すると次ぎに、ペテロの近くにいた人々が声をあげます。「この人はナザレのイエスと一緒にいました。」エルサレムのどこかでか、それとも別の町や村だったのか。ペトロが主イエスと一緒にいるのを目撃した人々がいたのです。この夜は過越の祭りです。大勢の人々がエルサレムに集まってきています。にもかかわらずペトロは同じ言葉を繰り返してしまいました。「そんな人は知らない。」 「するとすぐ、鶏が鳴いた。」
聖霊降臨後第十二主日 2008年8月3日
マタイ福音書14章13節~21節 「イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群衆はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。『ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。』イエスは言われた。『行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。』弟子たちは言った。『ここにはパン五つと魚二匹しかありません。』イエスは、『それをここに持って来なさい』と言い、群衆には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。 † † † † † † † † † † † † 「飽食の時代」という言葉がありました。しかし、最近はもうあまり耳にしません。学校給食の残飯だけでも、相当な量になることが知られているのですが、各家庭から出る生ゴミの量もかなりのものになるそうです。最近は、飲みかけのペットボトルをあちこちで見ることがあります。何が入っているか判らないので、誰も手を出そうとはしません。子供たちは、買ったお菓子が美味しくないと、そのまま棄ててしまうこともあるようですし、レストランで食事を注文し、後で別のものを食べるために全部食べないように勧めている文章にも出会ったことがあります。大勢でファミリー・レストランへ行き、全部を注文して、その中の美味しいものだけを食べればいい、という話をしている青年たちに出会ったこともありました。 「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群衆を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」 主イエスとその弟子たちの集団は、決して豊かな集団ではありませんでした。ですから、主イエスとその弟子たちに付いてきた大勢の人々に食事を与えることは出来なかったのだと思います。そして、彼ら自身も、自分たちの食べ物さえ持っていなかったように思えます。当時のイスラエルの一般民衆の生活はそのようなものであったであろうと思われます。しかし、「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」という弟子たちに対して、主イエスはこうおっしゃいました。「それをここに持って来なさい。」 戦争中に、食べるものがないという生活をした経験のある方々がだんだん少なくなってきています。そして、食糧の自給という国家として最も重要な事案の一つが見失われはじめています。貧しい人々はいつまでも貧しく、豊かな人々はますます豊かになっているように見えます。本来であれば、豊かな人々が感謝を込めて経済的に担わなければならないことを、「受益者負担」とばかりに、歴史に名を残すこともなく、戦後の日本の発展を支えてきた人々から、半ば強制的に資金を集め始めました。「後期高齢者」という言葉を聞き、ご自分がそれに当たると知って、元気がなくなってしまったお年寄りが多いと聞かされていますし、私の周囲にもそうした方々がいらっしゃいます。 「五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群衆に与えた。」主イエスが天に昇られ、聖霊が下った後の教会で行われていた「パン裂き」は、ワインのない聖餐式であると考えている神学者がいます。秋に収穫した葡萄でつくったワインを、ワインのまま保存出来たのはごく一部であろうと言われています。糖度を極端に上げるか、合成保存料を入れない限り、当時の保存容器では、確実に「酸いぶどう酒」になってしまったはずです。「酸いぶどう酒」にはもう、ほとんどアルコールは残っていなかったと思われます。ですから、聖餐式でワインを使えたのは、ごく一部の教会だけであったと思われます。「弟子たちはそのパンを群衆に与えた。すべての人が食べて満腹した。」これは極めて象徴的な表現ですが、しかし、教会の聖餐式がどのようなものであり、聖餐式を守り続けてきた教会は、誰と共にあるべきかを端的に教えてくれているように思えます。 【 祈 り 】 主よ、聖餐式を感謝いたします。 どうか、私共が主の聖餐を受けたものとして相応しい生き方を生きることが出来ますように。信仰と知恵と力とを増し加えていて下さい。そして、あなたは誰と生きよとおっしゃっているかをもう一度思い出すことが出来ますように。 主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン |
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