主日説教
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 四旬節第四主日 2009年 3月22日 ヨハネ福音書第6章4節~15節 † † † † † † † † † † † † この聖書の個所を何とか説明が付くように、様々な解釈が為されてきました。10節の中程に「そこには草がたくさん生えていた」と記されていることから、人々はパンだけでなく、草を食べたのだと考えた人々もいました。あるいは、持っていた五つのパンと二匹の魚を差し出した少年の心を知って、人々も自分たちが持っていたものを出し合ったのだと考えた人々もいました。しかし、聖書はそうしたことに関して、一切、沈黙しています。 ヨハネ福音書の記者は、ただ次のようにだけ記しているのです。 「人々が満腹したとき」と12節の冒頭にあります。たった五つのパンと二匹の魚だけで、200デナリオンに相当するパンがあっても足りない人数が満腹しています。1デナリオンは当時の労働者の一日分の賃金ですが、現代とは貨幣価値が異なっていますから、現代のお金の単位に換算することは不可能だと、最近の翻訳学は考えていますが、しかし、200デナリオンのパンということを考えると、相当な量のパンであったであろうと考えられます。にもかかわらず、それだけ大勢の人々が、五つのパンと二匹の魚で満腹しています。 「3秒に1人、貧困で幼い命が犠牲に。」という広告があるサイトに出ています。そこをクリックすると、以下のサイトが表示されます。 【 祈 り 】 PR 顕現後第六主日 2009年 2月15日 マルコ福音書第1章40節~45節 † † † † † † † † † † † † 新聞やインターネットに「訃報」と題して、お亡くなりになられた方のことが出ておりますが、死因の多くは「肺炎」と記されています。「ガン」と書かれていることは少ないように思えます。確かに、直接の死因は肺炎であるのですが、それ以前からガンを患っていらっしゃった方でも、「肺炎」と記されていることが多いと聞きました。理由は、「ガン」と記すと、残されたご遺族に不利益になることがあるからだということも耳にしたことがあります。今でも、履歴書に両親の死因を記させるところがありますが、そこに「ガン」と書いただけで、ある種の偏見が生まれているようです。 今日の聖書の個所は、ハンセン病患者を主イエスが癒された時の記事です。「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」というハンセン病を患っている方の言葉に、主は深く憐れみ、手を差し伸べてその人に触れ、「よろしい。清くなれ」とおっしゃいました。皆さんはこの個所をお読みになってどう思われるでしょうか。「手を差し伸べてその人に触れ」というところです。現在はハンセン病に関する見解が大きく変わって、感染症ではありながらその伝染力は極めて低いことが確認されています。しかし、そうした時代にあっても、「手を差し伸べてその人に触れ」という言葉にたじろぎを感じる方も多いのではないでしょうか。 「四苦八苦」という言葉があります。「四苦」とは、「生・老・病・死」の四つの苦しみです。そして「愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦」を加えると「八苦」になります。是は仏教的な理解ですが、しかし、聖書にもこうした苦しみについても書き記されています。主はそうした苦しみの中にある人々に対して、「手を差し伸べてその人に触れ」ようとされていることを、今日の聖書の個所は私共に告げ知らしめています。そして、「誰にも話さないように気をつけなさい」という主の言葉を、このハンセン病を癒された人は守れませんでした。この人は「大いにこの出来事を人々に告げ、言い広め始めた」のです。 ひとは、ともすると僻みや妬みを心の中に持ちます。このハンセン病だった人の証言を聞いて、羨望の眼差しをもった人々もいたかもしれません。しかし、聖書はそれを問題にしていません。聖書は「イエスはもはや公然と町に入ることができず、町の外の人のいない所におられた。それでも、人々は四方からイエスのところに集まって来た。」と記しています。人々は「手を差し伸べてその人に触れ」た主イエスのところに来ていることを聖書は書き記しています。聖書が告げる信仰の原点はここにあるのです。主がどこにいらっしゃるのか、主はそこで何をしていらっしゃるのか、それが私共クリスチャンの生き方の原点であり、私共はその主イエス・キリストの御業にお仕えしたいものでございます。 【 祈 り 】 顕現後第五主日 2009年 2月 8日 マルコ福音書第1章29節~39節 † † † † † † † † † † † † 最近の日本の情況を見ていると、ある種の倒錯が起きているように思えることがあります。今日の聖書の個所に、「朝早くまだ暗いうちに、イエスは起きて」と記されておりますが、都会地でこうした生活をしていらっしゃる方々は、勤務開始時刻が早い方々だけではないでしょうか。しかし、農村では、戦後もこうした生活が続いていたので、今もその習慣を変えていない方々がいらっしゃいます。私の祖父は、夜8時頃になると寝ていました。そして、夏は朝4時前には起きていたようです。「蛍雪」という言葉がありますが、夜暗くなってから本を読むために、ランプを点すことが出来た人々は、都会地以外では、それ程多くはなかったのではないでしょうか。 「近くのほかの町や村へ行こう。そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」主イエスは、そうおっしゃいました。「町や村へ行こう。」それは、イスラエルの様々な人々に、神の御業を示すためでした。「わたしは宣教する」と訳されていますが、この「宣教する」と訳されているギリシア語、あるいは「宣教」と訳されているギリシア語が意味していることは、既にそこで働き給うている神の、その御業を明らかにすることを意味しているように私には思えます。人間の働きではご座いません。そして、主は悪霊を追い出したとありますが、「追い出す」というよりは「排除する」という強い言葉のようにも思えます。 このマルコ福音書は、福音書の中で最も早く記されたものであろうと考えられておりますが、その大きな特徴の一つとして、イスラエルの貧しい、農村や漁村の人々に主イエスが語りかけている部分が非常に多く見られることです。彼らにとっては、明るくなる前に起き出すことは珍しいことではなかったと思います。イスラエルの緯度は東日本とほぼ同じですから、夜明けと日暮れの時刻はそう変わりありません。ですから、「シモンとその仲間はイエスの後を追い、見つけると、『みんなが捜しています』と言った」ということになるわけです。 「そこでも、わたしは宣教する。そのためにわたしは出て来たのである。」 【 祈 り 】 顕現後第二主日 2009年 1月18日 ヨハネ福音書1章43節~51節 † † † † † † † † † † † † ひとは神になることも、神のようになることもできません。あるいは、自分から神に会おうとしても、神に出会えるものでもありません。これは、あのペトロをはじめ、主イエスの御弟子でさえそうでした。彼らは皆、主イエスから近寄ってきて下さっています。フィリポの場合もそうでした。聖書には、フィリポは主イエスを探していたとは記されていません。主イエスは、ガリラヤへ行こうとされた時に出会ったとだけ記されています。この出会いが、フィリポを変えました。それも、「わたしに従いなさい」という、主イエスご自身の御言葉によってだけです。それ以上に、聖書は説明しようとしていません。 私にも今までに、人生を大きく変えられた出会いがあります。その方に出会ったのは、自分が計画してのことではありません。本当に偶然のことでした。もちろん、私はその方のことを存じ上げておりませんでした。あることで、すべてが行き詰まっていた時に、ふとしたことから出会うことが出来たのです。しかし、その方に出会うことによって、行き詰まっていた私の仕事が、大きく道を開かれました。主の御用のために何をどう考えたらいいのか、何をどうしたらいいのか、そして何を目指していったらいいのかをはっきりと示されはじめております。 フィリポがナタナエルに出会ったのも、間違いなく、神のご計画によるものでした。ひとがひとに出会うことも、そしてその方に出会うことによって大きく変えられることがあります。ナタナエルはフィリポから主イエスのことを聞いた時に、「ナザレから何か良いものが出るだろうか」と彼自身の知識で答えてしまいました。この言葉は、ある意味ではナザレという町を軽蔑しているように聞こえます。しかし、彼はそれまでに得た旧約聖書に記されたことを心に思い浮かべたのです。にもかかわらず、ナタナエルは変えられます。「見なさい。まことのイスラエル人だ。この人には偽りがない。」という主イエスの言葉に主はこう答えられたからです。「わたしは、あなたがフィリポから話しかけられる前に、いちじくの木の下にいるのを見た」。 主はすべてをご存知でいらっしゃいます。聖書は私共に、はっきりとそれを示しています。そして、時として、思いも寄らないところで、思いも寄らない人々との出会いの中で、主は私共に道を示し、私共を導き、支え続けていて下さいます。そして、私共が歩むべき道を、聖書を通して私共に示して下さいます。ペトロ・ヤコブ・ヨハネをはじめ12人の御弟子に出会われたのも、主が彼らのところへ来て下さり、主が彼らを招いて下さったからでありました。私共は、この混乱する時だの中にあって、多くの方々との出会いの中で、主イエスに出会いたいものです。私共は、聖書を通して、また聖霊のお導きによって主イエスに出会うことが出来ます。私共が「聖書のみ」という信仰を持っているということは、そうしたことでもあります。 【 祈 り 】
ルカ福音書1章26節~38節 † † † † † † † † † † † † 教会は、この聖書の個所を今までに何回読んで来たでしょうか。おそらく、クリスマスが来るたびにこの聖書の個所を読んできました。そして、主イエス・キリストがお生まれになった時の出来事を、信じ続けてきたはずです。ごく一部のキリスト教会では、この聖書の個所にある、「処女降誕」を科学的には考えられないという理由から否定することもありました。そして、その教会が属している教派では、かなり大きな問題になるだろうと思っておりましたら、あまり大きく取り上げられもせず、そう発言した聖職が戒規に付されるということもありませんでした。しかし、「科学的にあり得ない」ということが理由であれば、聖書の中に記されている信仰は、すべて、人生論になってしまうことは避けられませんし、聖書の時代にも「処女降誕」は起こり得ないと考えられていたことは、この聖書の個所自身が私共に教えてくれています。 「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」という聖母マリアの言葉が示している意味は、二千年前の人々もよく知っていたことであります。ですから、当然のこととして、このルカ福音書を記した人もそれを知っていたであろうと思われます。つまり、乙女が子を産むということはあり得ないということを、よく知っていたにもかかわらず、ルカ福音書の記者はあえてこの出来事を私共に伝えようとしているのであります。 私共は、日々の生活の中で、どのように神様に向かい合っているでしょうか。聖母マリアは、少なくともこの出来事に中で、人間の側から神様の出来事を見ようとしてしまっています。「どうして、そのようなことがありえましょうか。」と口にしてしまいました。そして、人はともすると、こうした発想で神様の御旨や御力を考えてしまいがちでございます。言い換えれば、主の御旨を追い求める信仰ではなく、自らの思いを、あるいは知識を神に認めさせようとしていないでしょうか。それも、自分たちにとって都合のいい知識と考え方をです。あるいは、教会という名の人間の集団や歴史を、神様に認めさせ、それを維持することが信仰だと決めつけ、「福音」という言葉が人間の想いいの中で一人歩きをしていないでしょうか。 「わたしは主のはしためです。お言葉どおり、この身に成りますように。」聖母マリアは、主の戒めを心にとめ、こう告白しました。「お言葉どおり、この身に成りますように。」とは、すべてを神にお委ねする信仰の告白でございます。「この身に成りますように。」とは、そして、神が為される御業のすべてを、神の御旨として受け容れることを意味する告白でございます。12月21日は、降誕節第4主日ですが、正に、この主の御旨であるキリストの御降誕を迎える最後の日曜日でございます。この時に、人間的な想いのすべてを捨て去り、「お言葉どおり、この身に成りますように。」と告白した聖母マリアの信仰を、人間の知識と想いのすべてを越えて、私共もこころから告白し、主の御旨の道を歩み始めたいと思います。 【 祈 り 】 |
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