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主日説教
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復活節第3主日   2008年4月6日

ルカ福音書24章28節~35節
 一行は目指す村に近づいたが、イエスはなおも先へ行こうとされる様子だった。二人が、「一緒にお泊まりください。そろそろ夕方になりますし、もう日も傾いていますから」と言って、無理に引き止めたので、イエスは共に泊まるため家に入られた。一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。そして、時を移さず出発して、エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言っていた。二人も、道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話した。

   †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  † 

  かつて日本で「飽食の時代」という言葉が使われました。そして、その飽食の時代が続くと、誰も「飽食」という言葉を使わなくなりました。そして、それに替わって「メタボ」=メタボリック・シンドロームという言葉がブームになっています。確かに、現代日本ではしかし、飽食の時代が続いているように見えます。「メタボ」はその結果として起こってきたことではないでしょうか。しかし、この「メタボ」の蔭にどのようなことが起こっているかを、多くの人々は気が付いていません。

 「一緒に食事の席に着いたとき、イエスはパンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった。」
 誰しもが、食卓の上には他のものが並べられ、その中から主イエスはパンを手にお取りになり、それを裂いてクレオパともう一人の人に配られたと思われるかもしれません。しかし、今日の聖書の個所にそうした食卓が、つまり私共が普段しているような食事が並んでいたかどうか。
 同じルカ福音書の中に、あの有名な「良きサマリア人の譬え」が記されていますが、あの旅人はオリーブ油とワインを持っていました。オリーブ油はパンに付けて食べる為と、怪我をした時の薬ですし、ワインは気付け薬や消毒剤として持っていました。どちらも決して廉価なものではありません。特にワインは、あの過越の祭の時でさえ、人々はごく少量しか手に入れることは出来なかったと考えられます。主イエスの時代、ワインをワインのまま保存することは極めて困難なことでした。
 旅人は、宿に泊まり、そこで手に入れたパンにオリーブ油をつけたものだけが夕食であった可能性が高いと思われます。クレオパともう一人の弟子は、同じようにエマオに向かって歩いていたのかもしれませんが、しかし、60スタディオンという距離を考えると、彼らはオリーブ油も、もちろんワインも持っていなかったと思われます。1スタディオンは約180メートルですから、エルサレムから約10キロしか離れていません。彼らの目の前にはパンだけはあったように思えます。

 先主日に読んだ聖書の個所は、十字架の出来事が起こったあと、主の弟子たちが集まっている時に起こった出来事でした。福音書を読む範囲では、主イエスとその弟子たちの食事は、本当に粗末なものだったと思えます。食卓に様々な料理が並んでいた食事は、もしかするとザアカイの家で食事をされた時だけかもしれません。
 「すると、二人の目が開け、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。」
 この二人の弟子たちが、あの最後の晩餐の時にいたとは考えられません。過越の食事は1匹の小羊を食べ尽くし、しかも満腹になる人数でしなければなりませんでした。それを考えると、主イエスと12人の弟子たち13人という数字が適当だということを読んだことがあります。にもかかわらず、 主イエスが「パンを取り、賛美の祈りを唱え、パンを裂いてお渡しになった」そのお姿をみて、それが主だと気が付いたということは、少なくとも、既にこのルカ福音書が書かれた時には、主がお定めになり給うた御ミサが人々の中で守り続けられていたと考えられるのではないでしょうか。

 二人はすぐに「エルサレムに戻ってみると、十一人とその仲間が集まって、本当に主は復活して、シモンに現れたと言って」いました。御復活の主は様々なところに表れていたのです。そして彼らも、「道で起こったことや、パンを裂いてくださったときにイエスだと分かった次第を話」したのです。教会はこの御復活の主の証人たちの群れです。そして、御復活の主が現れたのは、神殿や宮殿の中ではありませんでした。主が出会われたのは、神殿に使える祭司でもなく、宮殿に住む王や貴族でもありませんでした。マルコ福音書6章6章7節以下にはこう記されています。
 「そして、十二人を呼び寄せ、二人ずつ組にして遣わすことにされた。その際、汚れた霊に対する権能を授け、旅には杖一本のほか何も持たず、パンも、袋も、また帯の中に金も持たず、ただ履物は履くように、そして『下着は二枚着てはならない』と命じられた。」
 これは何も特別なことではありませんでした。多くの民衆はこうした生活をしていたのです。そして、主御自身もまたそうした人々の中で生きていらっしゃったのです。
 今日もイースター・キャンドルに灯がともされています。この光がどこに向かって照らし出されようとしているのかを、御復活の記念の時に、こころに深く刻みつけたいものでございます。

【 祈  り 】
 全能の主なる神よ、
 主イエスの御復活を信じる幸せをお与え下さり、心から感謝申し上げます。主よ、この喜びを多くの人々に伝えることが出来ますように。御復活の主がどのようなところにそのお姿を現して下さったのかを知り、その御復活の主にお仕えする者とならせて下さい。
 私共の主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
 アーメン

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復活節第2主日          2008年3月30日

 ヨハネ福音書20章24節~29節
 十二人の一人でディディモと呼ばれるトマスは、イエスが来られたとき、彼らと一緒にいなかった。そこで、ほかの弟子たちが、「わたしたちは主を見た」と言うと、トマスは言った。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」さて八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われた。それから、トマスに言われた。「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」トマスは答えて、「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「わたしを見たから信じたのか。見ないのに信じる人は、幸いである。」

   †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  † 

 ヨハネ福音書は、主イエスが十字架にお掛かりになり給うた時以来、週の初めの日には、弟子たちが集まっていたことを強調しています。あの御復活の日にはユダとトマス以外は一軒の家に集まっていました。19節以下にそれが記されています。但し、そこにはトマスはいませんでした。トマスがあの日どこで何をしていたかに付いては、ヨハネ福音書は沈黙しています。そして、そのトマスは、他の弟子たちが「主を見た」というとこう答えたのです。「あの方の手に釘の跡を見、この指を釘跡に入れてみなければ、また、この手をそのわき腹に入れてみなければ、わたしは決して信じない。」

 ひとはいつも、トマスと同じように、自分の目で見なければ信じようとしないことが多いかもしれません。残りの10人の弟子たちも、ある意味では同じでした。今日の聖書の個所の前の部分には、主が弟子たちにそのお姿を現されたときのことが記されていますが、「あなた方に平和があるように」と主に言われ、手とわき腹を主がお見せになられたので、それが主であることが判り喜んだと記されています。もしあそこで、主が手とわき腹をお見せにならなければ、彼らが信じたかどうか。ヨハネ福音書はそれに関しても沈黙しています。ただ、あのペテロともう一人の弟子は、主イエスが葬られた墓の中に、主イエスの遺体がないことを確認していたにもかかわらず、家に帰ってしまっていました。彼らは、消えた主の体を探しには行っていないのです。


 ヨハネ福音書はこう続けています。
 「八日の後、弟子たちはまた家の中におり、トマスも一緒にいた。戸にはみな鍵がかけてあったのに、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。」
 御復活の主は、また週の初めの日にそのお姿を現されました。鍵をかけ、息をひそめて家の中に閉じこもっている弟子たちの中に、あのご復活の主は入ってこられたのです。かと言って、決してそれは幽霊のようなものではございませんでした。
 「あなたの指をここに当てて、わたしの手を見なさい。また、あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」
 主はトマスにそう語りかけ給いました。
 「あなたの手を伸ばし、わたしのわき腹に入れなさい。」
 これは決して裁きの言葉ではございません。他の10人の弟子たちも、この一週間前の週の初めの日に、主イエスの方から現れて下さったので、それが主であることが判り、喜んだのです。しかも、手とわき腹を主イエスの方からお見せになり給うたのです。一週間前にはその場に居合わせなかったトマスにも、そして、主はご自身のご復活のお姿を現して下さったのです。


 この御復活の主が地上に止まり給うたことを記念する復活節に、私共もまたこの御復活の主に出会い、この御復活の主がどのように生きよとおっしゃっているかを、聖書を通し教会を通して今も力強く働いてい給う聖霊のお導きによって、知らされ、再確認し、主イエスがお示しになり給うた道を歩み続けて参りたいものでございます。
 ペテロの手紙1 1章3節以下にこう記されています。

 「わたしたちの主イエス・キリストの父である神が、ほめたたえられますように。神は豊かな憐れみにより、わたしたちを新たに生まれさせ、死者の中からのイエス・キリストの復活によって、生き生きとした希望を与え、また、あなたがたのために天に蓄えられている、朽ちず、汚れず、しぼまない財産を受け継ぐ者としてくださいました。あなたがたは、終わりの時に現されるように準備されている救いを受けるために、神の力により、信仰によって守られています。それゆえ、あなたがたは、心から喜んでいるのです。今しばらくの間、いろいろな試練に悩まねばならないかもしれませんが、あなたがたの信仰は、その試練によって本物と証明され、火で精錬されながらも朽ちるほかない金よりはるかに尊くて、イエス・キリストが現れるときには、称賛と光栄と誉れとをもたらすのです。あなたがたは、キリストを見たことがないのに愛し、今見なくても信じており、言葉では言い尽くせないすばらしい喜びに満ちあふれています。それは、あなたがたが信仰の実りとして魂の救いを受けているからです。


【 祈 り 】
 私共の罪の犠牲として十字架に死に給い、しかし三日目に甦り給うた主イエス・キリストの父なる神、
 御復活の希望によっていま生かされていることを心から感謝申し上げます。この御復活の記念の時に、あの主がどのような道を歩めと私共に命じてい給うかを、しっかりと心に刻みつけることが出来ますように。信仰の実りとして魂の救いを受けた者として相応しく生きることの出来る力を与えて下さい。
 また、私共が主の御復活の喜びに満たされているこの時、にもかかわらず悲しみや苦しみの中にいる兄弟姉妹を、あなたが慰め、あなたが力づけ、生きる勇気を与えて下さいますように。そして主よ、みこころならば、私共をあなたの御業に仕える者として下さい。
 私共の主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。
 アーメン。
 


 ヨハネ福音書20章1節~10節(日本聖書協会『新共同訳聖書』)
 「週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに、マグダラのマリアは墓に行った。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。そこで、シモン・ペトロのところへ、また、イエスが愛しておられたもう一人の弟子のところへ走って行って彼らに告げた。『主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。』そこで、ペトロとそのもう一人の弟子は、外に出て墓へ行った。二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。それから、先に墓に着いたもう一人の弟子も入って来て、見て、信じた。イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。それから、この弟子たちは家に帰って行った。

    †   †  †   †  †  †  †  †  †  †  †  † 

 主イエスが十字架で息を引き取られた時、つまりひとの罪を赦すために犠牲の小羊としてあのゴルゴタの丘の上で十字架に架けられて殺された時、そこにはあの十二弟子はいませんでした。弟子たちは逃げたのです。そして、隠れた場所で息をひそめていたのかもしれません。そしてこのことを知った時に、「何故逃げたのか」と弟子たちの行動を訝ったことのある方も多いのではないでしょうか。そうした中で、マグダラのマリアは安息日が終わった後、まだ暗いうちから墓へ行きました。
 ないのです。主イエスのご遺体がないのです。アリマタヤのヨセフとニコデモが葬ったはずの主のご遺体がないのです。
 「主のご遺体が取り去られた」
 マグダラのマリアはそう考えてしまいました。彼女はすぐさまペテロのところへ向かいました。「主が墓から取り去られました。どこに置かれているのか、わたしたちには分かりません。」彼女はペテロにそう告げています。そしてペテロも、それが何を意味しているのか気が付いていません。すぐさま家を飛び出し、墓に向かいます。「一昨日の夕方、ヨセフたちが葬ったのではないのか」そう呟いていたかもしれません。
 4節以下
 「二人は一緒に走ったが、もう一人の弟子の方が、ペトロより速く走って、先に墓に着いた。身をかがめて中をのぞくと、亜麻布が置いてあった。しかし、彼は中には入らなかった。続いて、シモン・ペトロも着いた。彼は墓に入り、亜麻布が置いてあるのを見た。」

 二人の弟子たちは、目の前に起こっていることの意味に気が付いていません。ヨハネ福音書の記者は、遺体が盗まれたのではないことをはっきりと示そうとしています。
 「イエスの頭を包んでいた覆いは、亜麻布と同じ所には置いてなく、離れた所に丸めてあった。」
 この情景描写が示していることからすれば、主の御復活が明らかであるにもかかわらず、ペテロともう一人の弟子はそれに気が付いていないのです。主イエスに一番近かったはずのペテロたちでさえ、主の御復活に気が付いていないのです。それを聖書はこう語っています。
 9節「イエスは必ず死者の中から復活されることになっているという聖書の言葉を、二人はまだ理解していなかったのである。」

 この世にあって主なる神が何をなされようとされているのか、あのペテロたちでさえ気が付いていなかったのです。
 ひとはいつも、心の中で主を見失いがちでございます。知っているはずのことを、知っていなければならないはずのことを、ひとはともすると見失ってしまいます。
 マタイ福音書にはこう記されています。
 16章13節以下
 「イエスは、フィリポ・カイサリア地方に行ったとき、弟子たちに、『人々は、人の子のことを何者だと言っているか』とお尋ねになった。弟子たちは言った。『「洗礼者ヨハネだ」と言う人も、「エリヤだ」と言う人もいます。ほかに、「エレミヤだ」とか、「預言者の一人だ」と言う人もいます。』イエスが言われた。『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか。』シモン・ペトロが、『あなたはメシア、生ける神の子です』と答えた。」
 あの時、こう告白しているペテロでさえ、大祭司の館で3度も主イエスを知らないと口にし、あのゴルゴタの丘へは行かずに逃げ出してしまっていたのです。そして今、墓の中に主イエスのご遺体がないことをはっきりと確認しても、主が御復活されたと思えなかったのです。

 「この弟子たちは家に帰って行った。」
 ペテロともう一人の弟子は、目の前で起こっていることを理解出来ていなかったのです。彼らは自分たちの場所へ帰ってしまいました。この間に、御復活の主イエス・キリストがマグダラのマリアたちに現れたことを知ることもなく、家の戸に鍵をかけて潜んでいたのです。
 ヨハネ福音書の記者は今日の聖書の少し後にこう記しています。
 16章19節以下
 「その日、すなわち週の初めの日の夕方、弟子たちはユダヤ人を恐れて、自分たちのいる家の戸に鍵をかけていた。そこへ、イエスが来て真ん中に立ち、『あなたがたに平和があるように』と言われた。そう言って、手とわき腹とをお見せになった。弟子たちは、主を見て喜んだ。イエスは重ねて言われた。『あなたがたに平和があるように。父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす。』」
 家の戸に鍵をかけて潜んでいる弟子たちの中に、御復活の主が現れ給うたのです。ペテロや他の弟子たちの方から御復活の主に会いに行ったのではございません。主を知らないと3度も口にしたペテロと他の弟子たちが潜んでいるところへ、御復活の主がそのお姿を現しに来て下さったのです。
 今日はイースターです。既にイースター・キャンドルに火が点されています。御復活の主が私共の所に来て下さっているということの証でもあります。このイースターの時、私共のところに主が来て下さっていることを、信仰の目を持って再確認したいと思います。そして、聖書の御言葉を通し、また御ミサのお恵みを通して、御復活の主のお恵みに与り、主が私共を召して下さる日まで、私共もまた御復活のお恵みに与れることを信じながら、主の御跡を歩んで参りたいと思います。
 主イエスの御復活は正に、私共が主に召されるまでこの世にあって主の御跡を歩んでいく為の、大きな、そしてたった一つの、しかしそれだけで十分な希望であります。


【祈 り】
 主イエス・キリストを死の淵から甦らせ給うた全能の神よ、
 私共のたった一つの希望である御復活の主に、今日の聖書の御言葉を通し、あなたが定められた聖餐を通して出会えることを心から感謝申し上げます。どうか主よ、あなたに召される日まで、御子主イエス・キリストの御跡を歩むことの出来る信仰と知恵と勇気をお与え下さい。そして、ただひたすら、あなたの御子主イエス・キリストの御跡を歩み続けさせていて下さい。
 私共に真実の希望をお示しになられた主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。
 アーメン。

受難日  2008年3月21日

ヨハネ福音書19章28節~30節
 この後、イエスは、すべてのことが今や成し遂げられたのを知り、「渇く」と言われた。こうして、聖書の言葉が実現した。そこには、酸いぶどう酒を満たした器が置いてあった。人々は、このぶどう酒をいっぱい含ませた海綿をヒソプに付け、イエスの口もとに差し出した。イエスは、このぶどう酒を受けると、「成し遂げられた」と言い、頭を垂れて息を引き取られた。

   †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 私共が聖書を読んでいると、どうしても疑問に思えるところが出て参ります。今日の聖書の個所もその一つです。この「ヒソプ」という植物ですが、酸いぶどう酒を含ませた海綿を糸で結びつけて、高いところまで差し出せるような植物ではありません。おそらく、ヒブル語で「エーゾーブ」といわれていた植物をギリシア語に訳したときに「ヒソプ」と訳したことから、ここでも「ヒソプ」と記されたのであろうと思われます。かといって、ヨハネ福音書はヒブル語で書かれていたものをギリシア語に訳したものであるわけではありません。文体などからして、明らかに初めからギリシア語で記されていることは、ほとんどの新約学者が認めています。そして、この「エーゾーブ」という植物に関しては、聖書植物学者によっていくつかの仮説が立てられています。ハナハッカという植物だとする方もいらっしゃいますし、ハーブとして有名になったマジョラムという植物の一種だとする方もいらっしゃいます。このマジョラムであれば、小さな海綿を先に付けて主イエスの口元に届かせることは可能かもしれません。


 もう一つは、この個所に出てくる「酸いぶどう酒」に関することです。これは原語では「オクソス」という言葉が使われています。そして、英語では一般的に「ビネガー」と訳されています。聖書で「ぶどう酒」と訳されているものの原語は「オイノス」で、主イエスの時代にはまったく別のものとして考えられていました。この時代にはまだ、ブドウ糖が発酵してエチルアルコールになり、エチルアルコールが発酵して酢酸になるということはまったく判っていませんでした。ぶどうをつぶしてぶどう液にし、そのまま放置するとぶどう酒になるのですが、基本的にはブドウ糖とエチルアルコールの濃度が同じになると第一次発酵が停止し、そこからはエチルアルコールが発酵によって酢酸になっていってしまいます。聖書の時代、ぶどう酒をぶどう酒のまま保存することは極めて困難だったと考えられます。最近の研究では、過越の食事の時の杯の中にあったぶどう酒は、3倍から5倍に水で薄められたものであろうと考えられています。秋に穫れたブドウで作ったぶどう酒を、春の祭りである過越祭の時まで保存することは至難の業だったからです。ここで差し出された「酸いぶどう酒」は、疲労回復の為であったのかもしれません。ギリシア地方の薬学者の間ではそれが用いられ、ローマ帝国では奴隷が飲まされていました。


 ヨハネ福音書の記者はこうした事実を知っていたのだと思われます。

  苦役を課せられて、かがみ込み
  彼は口を開かなかった。
  屠り場に引かれる小羊のように
  毛を切る者の前に物を言わない羊のように
  彼は口を開かなかった。
  捕らえられ、裁きを受けて、彼は命を取られた。
  彼の時代の誰が思い巡らしたであろうか
  わたしの民の背きのゆえに、彼が神の手にかかり
  命ある者の地から断たれたことを。
  彼は不法を働かず
  その口に偽りもなかったのに
  その墓は神に逆らう者と共にされ
  富める者と共に葬られた。

 イザヤ書53章7節以下にある「主の僕」と呼ばれる個所です。
 ヨハネ福音書の記者は、ギリシア語に訳された旧約聖書によって、このイザヤ書の個所を想い浮かべていたのではないでしょうか。
 ヨハネ福音書19章30節
 「『成し遂げられた』と言い、頭を垂れて息を引き取られた。」
 主イエスは、十字架の上で、犠牲の小羊として死なれたのです。


 今日は、主の御受難の記念の日です。私共があの出来事を想い出すためだけの日ではご座いません。私共は365日、あの主の御受難を忘れることは出来ません。そうではなく、神にあの十字架の出来事を想い起こして下さるようにと祈る日でもあります。御ミサの制定語の中に「私の記念として(エイス ムネーモスノン)」と記されているのは、私共が主イエス・キリストの贖いの十字架を想い出すと言うことではなく、神に想い出していただくという意味です。ギリシア語に訳された旧約聖書でこの「エイス ムネーモスノン」という表現が用いられる時の主語は、ほとんどが神だからです。
 マルコ福音書8章34節b~
 「「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。自分の命を買い戻すのに、どんな代価を支払えようか。神に背いたこの罪深い時代に、わたしとわたしの言葉を恥じる者は、人の子もまた、父の栄光に輝いて聖なる天使たちと共に来るときに、その者を恥じる。」
 あの丘の上に立つ主の十字架を見上げながら、自らの十字架を背負いながら、主イエス・キリストと共に歩んで参りたいものでございます。

【祈 り】
 あの日、ゴルゴタの丘の上で十字架に掛かり給うた主イエス・キリストの父なる神よ、
 主の御受難の日にあたり、主が私共の罪の贖いとして十字架に死に給うたことを今日また知らされ、自らの愚かさと至らなさと、多くの罪を心より懺悔いたします。主よ、あなたの御子・主イエス・キリストの犠牲の十字架を想い起こし続けていて下さい。そして、私共の罪を赦して下さい。
 私共の愚かさの故に傷ついている人々がいらっしゃいます。生きることに絶望されることもありました。主よ、私共をお赦し下さい。そして、あなたの御業のために私共を用いて下さい。私共はあなたに私共自身をお捧げいたします。
 あの十字架に死に給うた主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。
 アーメン。
 

受難の主日           2008年3月16日

マタイ福音書27章11節~14節
  さて、イエスは総督の前に立たれた。総督がイエスに、「お前がユダヤ人の王なのか」と尋問すると、イエスは、「それは、あなたが言っていることです」と言われた。祭司長たちや長老たちから訴えられている間、これには何もお答えにならなかった。するとピラトは、「あのようにお前に不利な証言をしているのに、聞こえないのか」と言った。それでも、どんな訴えにもお答えにならなかったので、総督は非常に不思議に思った。

    †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †


 「キリスト教は殺された人を拝んでいるのですよね」ということを何回か耳にしてきました。キリスト教を貶すためにそうおっしゃっていた方もいますが、真剣に主イエスの死が何であったかを考えようとされている方もいらっしゃいました。音楽がお好きな方で、バッハのマタイ受難曲が好きだという方がいらっしゃいました。そして、あの壮大な楽曲の中で歌われているのは、正にマタイ福音書そのものです。「来たれ、娘たちよ、われとともに嘆け(Kommt, ihr Tochter, helft mir klagen)」という歌詞ではじまる序唱から、そこには既に死のイメージを連想させる旋律が流れています。そして、あの序唱の主旋律は、ベースにあります。それも、低い音が連続し、嘆きのイメージが止めどなく流れます。
 「死は嘆きですか?」その音楽のお好きな方はそうお尋ねになりました。


 「イエスは総督の前に立たれた。」
 あの時代、ローマからエルサレムに派遣されてくる総督の前に立たされるということは、明らかにローマ帝国に反抗する者と言われている人々でした。
 「お前がユダヤ人の王なのか。」
 ピラトは主イエスにそう尋ねました。もしこれが事実であれば、明らかなローマ帝国への反逆です。エルサレムはローマ帝国の支配地域であり、ローマ帝国の法律によって治安が維持されていました。ですから、「ユダヤ人の王」はいてはならないのです。そして、マタイ福音書では、主イエスはダビデの子孫でもあったことが第1章で明確に示されています。
 「それは、あなたが言っていることです。」
 この部分は、以前の口語訳聖書では「そのとおりである」と訳されていますが、原文からすると「あなたはそう言っている」と訳した方がいいように思えます。


 「仏教では、死んだら仏様になると考えられていると思っている人々が多いのですが、実際には仏教では死で終わりです。ですから死ぬ前に悟りを得なければなりません。しかし、キリストは死んでしまうのですよね。」
 先程の音楽のお好きな方はこうおっしゃいました。
 今日の聖書の個所は、正に死刑が求刑されている裁判の判決公判のような場面です。ローマから派遣されている総督の前で最終的に決定されます。主イエスの弟子たちでさえこの場所にはいません。
 「主イエスの死は、人間の死とは別です。神の子が、神の御旨によって、犠牲の小羊として、イスラエルの過越の祭で小羊が焼かれている時に、カルバリの丘の上で十字架にかけられたのです。それは、人間の愚かさや過ちをすべて赦し、罪の世界から人間を救い出すために神がなされたことだったのです。それは、あのマタイ受難曲の45番・46番の中で、主イエスのことを知らないと三回、"nicht" と言っているペテロの罪をも赦すためのものでもありました。但し、ペテロは三回、主を知らないと言ってしまった後で、大声を上げて泣き叫んでいますよね。あの心が、あの涙が、そしてあの痛恨の叫びが、主イエス・キリストの十字架の死によって赦されるのです。命です。主イエスの死は、私たち人間にとっては命です。あのペテロの涙と叫びを私たちが共有できる時、ひとは赦されて、神様のお恵みと平安の中で、神の御旨を生きることが出来るようになります。」
 その音楽のお好きな方は、じっと目を閉じてこの話を聞いて下さいました。


 主の死はけっして終わりではありません。  
 正に、私共もが永遠の命の世界に入ることの出来る、たった一つの道です。よく葬儀の時に読まれる聖書の個所がございます。

 ヨハネ黙示録 21章1節以下
 我また新しき天と新しき地とを見たり。これ前の天と前の地とは過ぎ去り、海もまたなきなり。我また聖なる都、新しきエルサレムの、夫のために飾りたる新婦のごとく準備して、神のもとを出、天より降るを見たり。また大いなる声の御座より出るを聞けり。曰く、『視よ、神の幕屋、人と共にあり、神、人と共に住み、人、神の民となり、神みずから人と共に在して、彼らの目の涙をことごとく拭い去り給わん。今よりのち死もなく、悲嘆も、号泣も、苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり。』

 そして、この主の御受難の週、主が私共一人々々に永遠の命への道を示し、そして死という一つの門をくぐって新しい永遠の命にに招き入れられるために、十字架に死んで下さったことを魂に深く刻み続けて過ごして参りたいものです。
 あの音楽のお好きな方は、あれから数年して、東京のある教会で洗礼をお受けになられたそうです。「今よりのち死もなく、悲嘆も、号泣も、苦痛もなかるべし。前のもの既に過ぎ去りたればなり」とだけ記された葉書が、私のところに送られてきたことがございました。

【祈 り】
 主よ、あなたが私共の罪を赦すために、あなたご自身の御子主イエス・キリストをこの世にお遣わしになり、犠牲の小羊として十字架に架けられたことを思い、心から罪を懺悔し、悔い改め、その十字架のお恵みの道を、私共自身の十字架を背負って歩むことが出来ますように、知恵と力と信仰を増し加えていて下さい。そして、主イエスの御復活のお恵みに与ることが出来ますように。
 あの日、十字架にお掛かりになるために、ロバの子に乗ってエルサレムに入られた、平和の主イエス・キリストの御名によってお祈りいたします。アーメン。



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