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主日説教
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 聖霊降臨後第十三主日       2008年8月10日

マタイ福音書14章22節~33節
 「イエスは弟子たちを強いて舟に乗せ、向こう岸へ先に行かせ、その間に群衆を解散させられた。群衆を解散させてから、祈るためにひとり山にお登りになった。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。ところが、舟は既に陸から何スタディオンか離れており、逆風のために波に悩まされていた。夜が明けるころ、イエスは湖の上を歩いて弟子たちのところに行かれた。弟子たちは、イエスが湖上を歩いておられるのを見て、『幽霊だ』と言っておびえ、恐怖のあまり叫び声をあげた。イエスはすぐ彼らに話しかけられた。『安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。』すると、ペトロが答えた。『主よ、あなたでしたら、わたしに命令して、水の上を歩いてそちらに行かせてください。』イエスが『来なさい』と言われたので、ペトロは舟から降りて水の上を歩き、イエスの方へ進んだ。しかし、強い風に気がついて怖くなり、沈みかけたので、『主よ、助けてください』と叫んだ。イエスはすぐに手を伸ばして捕まえ、『信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか』と言われた。そして、二人が舟に乗り込むと、風は静まった。舟の中にいた人たちは、『本当に、あなたは神の子です』と言ってイエスを拝んだ。

   †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †

 ペトロは、主イエスと出会ってから、この後も大きな失敗をしています。その典型は、最後の晩餐の後、ペトロは、自分は主イエスを知らないを三回も口にしてしまいました。その個所を今日はご一緒に読んでみたいと思います。
 マタイ福音書26章69節以下
 「ペトロは外にいて中庭に座っていた。そこへ一人の女中が近寄って来て、『あなたもガリラヤのイエスと一緒にいた』と言った。ペトロは皆の前でそれを打ち消して、『何のことを言っているのか、わたしには分からない』と言った。ペトロが門の方に行くと、ほかの女中が彼に目を留め、居合わせた人々に、『この人はナザレのイエスと一緒にいました』と言った。そこで、ペトロは再び、『そんな人は知らない』と誓って打ち消した。しばらくして、そこにいた人々が近寄って来てペトロに言った。『確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。』そのとき、ペトロは呪いの言葉さえ口にしながら、『そんな人は知らない』と誓い始めた。するとすぐ、鶏が鳴いた。ペトロは、『鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう』と言われたイエスの言葉を思い出した。そして外に出て、激しく泣いた。」

 ひとは時として大きな過ちを犯してしまうことがあります。いえ、人間とはそうしたものなのだと聖書は語っています。目の前で主イエスが水の上に立っていらっしゃるのを見ていながら、ふと周囲の気配を見て、ペトロは恐ろしくなってしまいました。「幽霊だ」と叫んだ弟子たちに、「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない。」と語りかけて下さった主イエスの、「来なさい」という言葉に従って水の上を歩き始めたペトロ‥‥‥しかし、ペトロはふと主イエスから目を逸らしてしまいました。そして水に沈みかけ、主イエスに助けていただきながら、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」と語りかけられてしまいました。そして、舟に上がることが出来て初めて、「本当に、あなたは神の子です」と告白することが出来たのです。

 そのペトロが、最高法院に連れて行かれた主イエスの後を追って中庭に入り、主イエスがどうなるのかを知ろうとしていたのですが、その時、大祭司の女中の一人に見つかってしまいました。彼女は、どこかで主イエスと弟子たちを目撃していたのかもしれません。ペトロは咄嗟に答えてしまいます。「そんな人は知らない‥‥‥」すると次ぎに、ペテロの近くにいた人々が声をあげます。「この人はナザレのイエスと一緒にいました。」エルサレムのどこかでか、それとも別の町や村だったのか。ペトロが主イエスと一緒にいるのを目撃した人々がいたのです。この夜は過越の祭りです。大勢の人々がエルサレムに集まってきています。にもかかわらずペトロは同じ言葉を繰り返してしまいました。「そんな人は知らない。」
 「そんな人は知らない‥‥‥」ペトロはどのような想いでこの言葉を繰り返したのでしょう。「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言うだろう。」と主イエスに言われたときに、「たとえ、御一緒に死なねばならなくなっても、あなたのことを知らないなどとは決して申しません」と主イエスにお答えしたことを忘れてしまっていたのでしょうか。そして、人々はそう答えるペトロを取り囲むようにして語りかけたのでしょう。「確かに、お前もあの連中の仲間だ。言葉遣いでそれが分かる。」

 「するとすぐ、鶏が鳴いた。」
 主はすべてをご存知でいらっしゃいます。ペトロがこの場面でどう答えるかをご存知でいらっしゃいました。「鶏が鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言う‥‥‥」ペトロは、鶏の鳴き声にそれを思い出しました。「そして外に出て、激しく泣いた」のです。教会はこれを悔い改めの涙であると考えてきました。自らの過ちを徹底的に悔い改める人の心を、そしてその涙を、主は受け入れて下さいます。この悔悛の涙を、そして激しい痛みを、主は受け入れて下さり、罪を赦して下さるのです。「そんな人は知らない‥‥‥」と答えてしまったペテロは、初代教会にとってなくてはならない存在でしたし、あのローマで殉教したと伝えられています。
 私共もまた、日々犯してしまう大きな過ちを、繰り返し、繰り返し、心から悔い改めて主イエスの十字架と御復活のお恵みに与りたいものです。罪の悔い改めのないところに、罪の赦しはあり得ません。


【 祈  り 】
 主よ、日々、あなたの御旨にそむいてしまう私共を、あなたの御子・主イエス・キリストの十字架の死によって贖い、御復活の希望を与えられていることを感謝いたします。
 どうか主よ、罪を犯してしまう私共を見捨てないで下さい。そして、犯してしまった罪を悔い改める信仰を、私共が持ち続けることが出来るようにして下さい。
 主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。アーメン

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