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主日説教
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ヨハネ福音書4章21節~24節
  イエスは言われた。「婦人よ、わたしを信じなさい。あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。あなたがたは知らないものを礼拝しているが、わたしたちは知っているものを礼拝している。救いはユダヤ人から来るからだ。しかし、まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。今がその時である。なぜなら、父はこのように礼拝する者を求めておられるからだ。神は霊である。だから、神を礼拝する者は、霊と真理をもって礼拝しなければならない。


 私共が礼拝している時間にも、様々なところで仕事をしていらっしゃる方がいます。電気・ガス・水道といった公共的なものだけではありません。日曜日こそ休むことが出来ない方々がいらっしゃいます。私はある時に、「日曜日に休めないような人は教会へ来なくてもいい」という言葉を耳にしたことがありました。その方は、都会のサラリーマンの方でした。そして現在は、「グローバル」という言葉が示しているように、昼夜の区別なく仕事をしなければならない方々が増えています。
 ですから、学生時代に教会で洗礼を受けられても、日曜日に教会にいらっしゃれない方々もいらっしゃいます。

 「あなたがたが、この山でもエルサレムでもない所で、父を礼拝する時が来る。」ここで礼拝という言葉が使われていますが、この「礼拝」という言葉の具体的意味は、キリストに関する言葉が語られ、キリストご自身が「私の記念としてこのように行いなさい」といわれた聖餐の両方を意味しております。ヨハネ福音書が記されたのは、もしかすると2世紀の初頭、どんなに早くても1世紀の終わりではないかと思われます。もちろん、主イエスの弟子のヨハネが書いたものではございません。ヨハネは生粋のユダヤ人です。アラム語を話していたと考えられます。ですから、このヨハネ福音書のような文体のものを書けたとは考えにくいですし、著作年代からすると、あまりに高齢になりすぎています。
 「まことの礼拝をする者たちが、霊と真理をもって父を礼拝する時が来る。」
 そしてヨハネはこう続けます。
 「今がその時である。」
 主の御復活を知っている共同体つまり教会に対して、ヨハネはこう語っているのです。ヨハネ福音書が記された時にはすでに、礼拝は行われていました。ヨハネはそれだからこそ、礼拝の意味をここに記しているのでございます。

 ある教会は、日曜日に3回、礼拝をしていました。朝7時と10時半と夜の7時です。商売でお店を休めない方は夜の礼拝に出席されていました。その方の奥様は、朝7時の礼拝にいらっしゃっていました。ご夫妻でご一緒に来たくても、お店の準備や後片づけが大変なのだろうと思います。そして、その教会は決断しました。どの礼拝もすべて同じように行うということをです。ですから、司祭は一日に3回、聖餐式を行わなければなりませんでした。
 それでも、部活の試合の前に朝の礼拝に高校生が来たり、補習で学校へ行かなければならない高校生が夜の礼拝にやってきていたそうです。彼らは、ほとんど礼拝を休まなかったそうです。

 「父はこのように礼拝する者を求めておられる」
 礼拝は神が招かれているものです。そこに招かれた聖職者は神に仕え、そして神に招かれた人々に仕えるために聖餐式を執り行います。何故なら、礼拝は、神が礼拝することを求めておられるからです。主イエス・キリストの御言葉が語られ、聖餐が執り行われる。かつて、カール・バルトという有名な神学者が、晩年の著書の中で、日曜日ごとに聖餐式が守られた方がいいと記しています。ある意味では、当然のことです。今日の福音書に記されている「礼拝」という言葉には、聖餐式が含まれているからに他なりません。
 「父はこのように礼拝する者を求めておられる」
 何らかの事情で、聖餐のお恵みに与ることの出来ない方々もいらっしゃると思います。そうした方々が、一日も早く一緒に聖餐のお恵みに与ることが出来るように、このレントの時、聖餐の恵みを今日も与れる私共も祈り続けなければなりません。
 そして、万が一、教会の過ちによって、聖餐に与れない人々がいるとしたら、私共はその方々を聖餐の場に招けるように悔い改めなければなりません。

マタイ福音書5章23節~24節
 「あなたが祭壇に供え物を献げようとし、兄弟が自分に反感を持っているのをそこで思い出したなら、その供え物を祭壇の前に置き、まず行って兄弟と仲直りをし、それから帰って来て、供え物を献げなさい。」

【祈り】
 主よ、
 いまこの時、私共の過ちによってこの聖餐のお恵みに与れない兄弟姉妹がいるのであれば、主よ、私共一人々々に、あなたのみ前でこころから悔い改めることが出来る、知恵と力と勇気をお与え下さい。そして、この聖餐のお恵みに与れない方々が、一日も早く、ともにそのお恵みに与れることが出来るように、私共が悔い改めることが出来ますように。
 私たちの罪の贖いとして十字架に死に給うた主イエス・キリストの御名によって祈ります。
 アーメン。

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