主日説教
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 聖霊降臨後第十四主日 2008年8月17日 マタイ福音書15章21節~28節 † † † † † † † † † † † † 日本語には敬語があります。皆さんの中にも小学校の時に、「次の文を敬語になおしなさい」という問題を国語の時間に出題されたことがある方々がいらっしゃると思います。そして、普段でも敬語をお使いになっていらっしゃるだろうと思います。あるいは「拝見する」「参ります」「申し上げる」といった謙譲語もお使いになっていらっしゃるのではないでしょうか。そして、その敬語と謙譲語の区別をする基準は、多くの場合、年齢であったり、社会的地位の差によるものだと思います。 「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」カナンの一人の婦人は主イエスにそう申し上げました。ここで言われている「小犬」は、この婦人が自分自身のことを言っているのだろうと考えられます。食卓から落ちるパン屑でもいいから受けたいという想いが、この婦人の心の中に見えています。そしてカナンの婦人とは、この女性がユダヤ人ではないということを意味しています。 「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」 教会はいつも、神の前にこの謙遜さを持ち続けなければなりません。教会の判断が、まして聖職者の判断が正しいのではありません。正しいお方はただ一人、あの十字架に死に、しかし三日目に甦られた主イエス・キリストお一人だけです。私共が教会に関して考えるときに最も必要なことは、この「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」という謙遜さに満ちた信仰を、聖職者も信徒も同じように持ち続けることでございます。ひとは、その想いや行いにおいて、神のようになることも、神に近くなることも、決して出来ません。 【 祈 り 】 PR |
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