忍者ブログ
主日説教
[31] [30] [29] [28] [27] [26] [25] [24] [23] [22] [21]
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

 聖霊降臨後第十四主日       2008年8月17日

マタイ福音書15章21節~28節
 イエスはそこをたち、ティルスとシドンの地方に行かれた。すると、この地に生まれたカナンの女が出て来て、「主よ、ダビデの子よ、わたしを憐れんでください。娘が悪霊にひどく苦しめられています」と叫んだ。しかし、イエスは何もお答えにならなかった。そこで、弟子たちが近寄って来て願った。「この女を追い払ってください。叫びながらついて来ますので。」イエスは、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊のところにしか遣わされていない」とお答えになった。しかし、女は来て、イエスの前にひれ伏し、「主よ、どうかお助けください」と言った。イエスが、「子供たちのパンを取って小犬にやってはいけない」とお答えになると、女は言った。「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」そこで、イエスはお答えになった。「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」そのとき、娘の病気はいやされた。

   †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †  †

 日本語には敬語があります。皆さんの中にも小学校の時に、「次の文を敬語になおしなさい」という問題を国語の時間に出題されたことがある方々がいらっしゃると思います。そして、普段でも敬語をお使いになっていらっしゃるだろうと思います。あるいは「拝見する」「参ります」「申し上げる」といった謙譲語もお使いになっていらっしゃるのではないでしょうか。そして、その敬語と謙譲語の区別をする基準は、多くの場合、年齢であったり、社会的地位の差によるものだと思います。

 「主よ、ごもっともです。しかし、小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」カナンの一人の婦人は主イエスにそう申し上げました。ここで言われている「小犬」は、この婦人が自分自身のことを言っているのだろうと考えられます。食卓から落ちるパン屑でもいいから受けたいという想いが、この婦人の心の中に見えています。そしてカナンの婦人とは、この女性がユダヤ人ではないということを意味しています。

 「婦人よ、あなたの信仰は立派だ。あなたの願いどおりになるように。」
 主イエスは、この婦人の謙遜さを耳にして、そうお答えになられました。確かにこの女性は主イエスに「主よ、ダビデの子よ。」と呼びかけています。しかしこの婦人のその呼びかけに対してではなく、「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」という謙遜な信仰告白に対して、「あなたの信仰は立派だ。」と主イエスはお答えになられているのです。

 教会はいつも、神の前にこの謙遜さを持ち続けなければなりません。教会の判断が、まして聖職者の判断が正しいのではありません。正しいお方はただ一人、あの十字架に死に、しかし三日目に甦られた主イエス・キリストお一人だけです。私共が教会に関して考えるときに最も必要なことは、この「小犬も主人の食卓から落ちるパン屑はいただくのです。」という謙遜さに満ちた信仰を、聖職者も信徒も同じように持ち続けることでございます。ひとは、その想いや行いにおいて、神のようになることも、神に近くなることも、決して出来ません。

【 祈  り 】
 主よ、あなたの御言葉を感謝いたします。
 どうか、いついかなる時にも、あなたの御前に謙遜でいることが出来ますように。あなたが私共に、どのように生きよとおっしゃっているかを真剣に考えることが出来ますように。知恵と力と信仰を増し加えて下さい。
 私たちの主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。
 アーメン

PR


忍者ブログ [PR]
カレンダー
04 2024/05 06
S M T W T F S
1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31
カテゴリー
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
バーコード
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
カウンター