主日説教
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 聖霊降臨後第十九主日 2008年9月21日 マタイ福音書20章 1節~16節 † † † † † † † † † † † † かなり以前に、ある青年からお伺いしたことがあります。彼が伝道を考える集まりに出席したときのことだったそうです。数十人の集まりだったようですが、いろいろな教会から青年達が集まっていたそうですが、その中で一人の青年が「私はボーン・クリスチャンです」と自己紹介されたそうです。先祖数代にわたってクリスチャンだったのかもしれません。しかし、私の知り合いの青年は、そうではありませんでした。小学校の時から教会に通い始めたそうですが、彼の家はクリスチャン・ホームではありませんでした。何故、「ボーン・クリスチャンです」と言わなければならなかったのでしょうか。何故、そう言いたかったのでしょうか。 「天の国は次のようにたとえられる。」 私はある関係で、ある方の息子さんのご葬儀に出席したことがあります。私とは関係のない教派の教会の方でした、御父様はその教会の役員をされていらっしゃいましたが、息子さんの葬儀には牧師さんが何人もいらっしゃっていました。それから暫くして、御父様も天に召されましたが、その時には、その教会の牧師さんだけしかいらっしゃいませんでした。他の方々はどう思われたか判りませんが、御父様と息子さんは同じ教会の信者ざんです。その教会の方々が皆さんいらっしゃっていたようですが、何故か私には淋しそうに見えました。そして、その教会が属している教区からも、責任者の方はお見えになっていらっしゃいませんでした。 「友よ、あなたに不当なことはしていない。あなたはわたしと一デナリオンの約束をしたではないか。自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ。自分のものを自分のしたいようにしては、いけないか。それとも、わたしの気前のよさをねたむのか。」主は、すべての人々を同じように見ています。主の十字架は主イエス・キリストに寄りすがろうとする人々に、同じように救いを与えて下さいます。そして、私共が宣べ伝えなければならないことは、この主イエス・キリストの十字架と御復活のお恵みなのではないでしょうか。 【 祈 り 】 PR |
カレンダー
リンク
フリーエリア
最新コメント
最新トラックバック
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
カウンター
アクセス解析
カウンター
|