主日説教
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 聖霊降臨後第九主日 2008年7月13日 マタイ福音書13章1節~9節 † † † † † † † † † † † † 言葉を理解するというのは、本当に難しいことです。ですから、絵や写真が、あるいは場合によっては図面が非常に役に立つことがあります。しかし聖書は、すべて言葉だけによって記されています。絵も写真も図面もありません。ある時、私は悪戯をしてしまいました。地方でのことです。道を尋ねられて、「三つ目の信号機を左に曲がって、3分ほどのところにあります」と説明しました。確かに、この言葉にウソはありません。尋ねられた高級ホテルは確かに三つ目の信号がある三叉路を左に入って、3分ほどで着くところにあります。私も、そこへ行ったことがありました。しかし、私がそれを説明したところから三つ目の信号機まで、山道が10キロメートル以上続いています。 今日の聖書の個所も、主イエスの譬え話です。ただ、この譬え話が理解しやすいのは、18節以下にその解釈が記されているからです。道端に落ちた種とは、「御国の言葉を聞いて悟らなければ、悪い者が来て、心の中に蒔かれたものを奪い取」られてしまうようなひとで、石だらけで土の少ない所に落ちた種とは「御言葉を聞いて、すぐ喜んで受け入れるが、自分には根がないので、しばらくは続いても、御言葉のために艱難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまう人 」、そして、茨の中に蒔かれた種とは「言葉を聞くが、世の思い煩いや富の誘惑が御言葉を覆いふさいで、実らない人」です。 最近は、言葉がだんだん退化しているように思えて仕方がありません。ある国では文字を簡略化してしまいました。また別の国では、文字をすべて表音文字で表現するようにしてしまいました。その結果、ご自分の名前を本来の表意文字で書くことが出来ない方が出てきてしまったということを、その国の方からお伺いしたことがあります。私共の国では、退化し始めても、未だに表意文字と表音文字を同時に用いています。しかし、聖書は。、翻訳という作業を経たものですから、時として、誤解してしまうようなことも起こりかねません。「御言葉を聞いて悟る。」本当に難しいことです。しかし、あらゆる人間的な想いを超えて、主に祈りながら聖書を読む時、私共はそれぞれに主から与えられた知識によって、主の御言葉を理解することが出来ます。そして、時として聖書の御言葉に徹底的に打ちのめされることさえあります。 今日の福音書は、そして、こう告げています。
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