主日説教
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マルコ福音書13章33節~37節 † † † † † † † † † † † † 人は眠っていると時の流れを認識できません。外界とまったく遮断され、時計もなく、外の音がまったく聞こえない真っ暗な部屋で眠ると、目が覚めた時、自分が何時間眠っていたのか判らないそうです。音響工学のそうした実験室で体験した方からお伺いしました。あるいは、全身麻酔をかけられて手術を受けると、その麻酔から覚めた時、その手術にどれくらいの時間がかかったのかまったく判らないそうです。 「目を覚ましていなさい。」それは「眠るな」という意味でもあると思います。目の前で起こっていることから目を逸らし、自分に都合のいいことだけを見ていることも、目を覚ましていることにはなりません。ひとは、しかし、ともするとこの過ちを犯してしまいがちです。しかし、主イエスは、ペトロとヤコブとヨハネとアンデレに、オリブ山の頂で「目を覚ましていなさい」と語り給うたのです。それはエルサレムの神殿が崩壊する時が来ると主イエスが語り給うた後であります。(13章1節~3節) 「気をつけて、目を覚ましていなさい。その時がいつなのか、あなたがたには分からないからである。」とは、自分自身の内側だけを見ているなということでもあります。その時というのは、自分の中の時ではなく、目の前で起こっているその時でございます。聖書は信仰を個人の心の中の事柄として考えていません。同じマルコ13章には「荒らす憎むべきものが、立ってはならぬ所に立つのを見たならば(読者よ、悟れ)、そのとき、ユダヤにいる人々は山へ逃げよ。屋上にいる者は、下におりるな。また家から物を取り出そうとして内にはいるな。畑にいる者は、上着を取りにあとへもどるな。その日には、身重の女と乳飲み子をもつ女とは、不幸である。この事が冬おこらぬように祈れ。」と記されています(14節以下) 「目を覚ましていなさい。」
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