復活節第6主日 2008年4月27日
ヨハネ福音書 第15章1節~8節
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。しかし、実を結ぶものはみな、いよいよ豊かに実を結ぶように手入れをなさる。わたしの話した言葉によって、あなたがたは既に清くなっている。わたしにつながっていなさい。わたしもあなたがたにつながっている。ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にいつもあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる。あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」
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ある教会にひとりのご婦人がいらっしゃいました。よほど健康を害していらっしゃらないかぎり、毎主日、礼拝にいらっしゃっていました。私が知っている限りでは40年位の間に、礼拝にいらっしゃらなかった回数は一桁ではないかと思います。60歳になられたころから、そのご婦人は週報を6部ずつ、帰りがけにお持ちになるようになりました。教会で、アッシャーをされている方々は、それに気が付いていらっしゃったのですが、彼女が何をしているかは、判りませんでした。ただ、ただ、毎主日、礼拝が終わると週報を6部、A4の大きさのバインダーに挟み込んで、お持ち帰りになっていました。
「わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっていながら、実を結ばない枝はみな、父が取り除かれる。」
2000年近い教会の歴史の中で、教会は何回この御言葉を読んできたでしょうか。主イエス・キリストに結びついていないと、私たちは本当の意味で生きていることが出来ません。それもしっかりと幹につながっていなければ、実を結ぶことが出来ません。そして、「しっかりと幹に繋がっている」ということは、間違いなく礼拝で主イエス・キリストの出来事に関する御言葉を聞き、主イエス・キリストの御体と御血に与ることを意味しています。聖書はそれをこう説明しています。
「ぶどうの枝が、木につながっていなければ、自分では実を結ぶことができないように、あなたがたも、わたしにつながっていなければ、実を結ぶことができない。」
週報を6部、主日ごとにお持ち帰りになるご婦人が、それを何に使っているかが判ったのは、そのご婦人が亡くなって1年目の記念会の時のことでした。
そのご婦人は、礼拝が始まる5分前にお御堂に入り、跪いてお祈りをされていたそうです。そして、礼拝が終わると、皆さんと少しお話をされた後、いつの間にかお帰りになっていらしゃったといいます。彼女は若い頃から糖尿病を患っていらっしゃいましたから、毎日、かなりの距離を歩いていらしゃいました。今であれば「ウォーキング」というのをされていたのでございますが、その途中で、毎日1軒ずつ、ポストにその週報を投函されていたそうです。ただ、週報をそのままではなく、週報の裏に必ず花の水彩画が描かれていたそうです。日曜日、教会から帰ると彼女はその6枚の週報の裏に、おなじ花の絵を描かれました。そして、月曜日から毎日、よほどお天気が悪くない限り、彼女はその絵をバインダーに挟んで、それを小さなバックパックに入れて背負い、ウォーキングに出掛けられました。
「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。」
そのご婦人は、ご自分が知っている限りの教会員の中で、いつの間にか教会に来なくなっていた方々のポストにそれを入れていらっしゃったそうです。JRの駅で二つ離れたお宅もあったそうです。途中で結婚して、引っ越してしまわれた方もいらっしゃいました。それでも彼女は、表札のお名前が変わっていない限り、そのお宅のポストに投函し続けたそうです。ある時は「二度と入れるな」という電話が教会にかかってきたそうですが、その教会の牧師さんは、毎回、のらりくらりと対応されていたそうです。そして、彼女が亡くなられた後、「週報はもう届かないのですか?」という電話もあったそうです。
「わたしにつながっていない人がいれば、枝のように外に投げ捨てられて枯れる。そして、集められ、火に投げ入れられて焼かれてしまう。」
教会の方々は、まったくこのことをご存知ありませんでした。このことを知ったのは、彼女の1年目の記念会のことでした。礼拝堂に入りきれないほどの方々がお集まりになられたそうです。記念会としては異例のことです。そして、それ以来、礼拝出席者の数が少しずつ増えました。
「あなたがたが豊かに実を結び、わたしの弟子となるなら、それによって、わたしの父は栄光をお受けになる。」
主のお導きとお支えと、そして何よりもあの主イエス・キリストの十字架の贖いを心から感謝して、今日も主の御体と御血に与りましょう。
【 祈 り 】
この世のすべてを見そなはして居給う主イエス・キリストの父なる神よ、
主の十字架と御復活を心より感謝申し上げます。
いつも、主イエス・キリストに繋がり続けていますように。そして、主イエス・キリストのために、私共も、実を結ぶことが出来ますように。
十字架に掛かり、しかし御復活された主イエス・キリストの御名によってお願いいたします。
アーメン
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